FC2ブログ

日々是好日7/17

2018/07/18
世俗諦と勝義諦(人間関係の解決法)

 長老は言われる。(ブッダの実践心理学第1巻p30〜:CD1−b40分ごろ)

・・・ですから、世俗諦、世の中の決まりは、それほど厳密にやらなくてもいいのです。立場によってコロコロ変わるものだし、変わったと言っても大した違いもないし。
この理解は、とても大事です。アビダンマを学ぶ前に、「世の中の全ては世俗諦だ、みんなの決まりだけだ」という理解を持つことが、とても重要なのです。

 
そして、慈悲喜捨。



2018/07/16
今日は伝えることは何もない
何もないがゆえに何か伝えねば
今、孤独である。

でも、それがどうした!?って感じ
good! ( ̄▽ ̄)/





2018/07/15
今日は、名古屋初期仏教デーに参加してきた。
 長老に質問した。答え「次のこと、未来のことに引っかかっている」と。
「確かに、その通りかもしれない。」と。
まだ自分で気づいていないことだ。


  今日の講義は強烈だった。合宿以外で、久しぶりに、本当の話を聞いたように思う。
法話を聞いて、もう私などは、社会、人間関係とは距離を置けると思っていたが、いかに自分が、その社会の常識の中で生きているのかと思わされる。きついと思う。ということはその智慧がないということ。


 皆にもきつい話だったのではないか。 

 社会の被り物。仕事場、家庭、すべての人間関係の中での被り物。「あなたたちは、クソの中でクソで生きている」と比喩された。

 長老は「愛」という言葉を嫌うように思う。母親の子に対する愛情を「最悪の愛着だ」と言い放つ。よく知らずに、あの場の話の前後をよく理解していないと。言葉そのままの意味に受け取ってしまう。普通の母親なら引いてしまう。

 「愛」をメインテーマに唱うキリスト教を例に挙げて「気持ち悪い」と表現されることがある。

 「愛」の定義が曖昧だから色々な場面で使われる。一番感情的に表現しやすい単語だ。単なる執着から相手を深い慈悲の心で心配りすることまで含んでしまう。都合のいい言葉で、人が踊らせやすい。

 でも我々はほとんど、この愛という言葉の中でこそ
生きていると言っていいのではない?。だって、理性よりも感情が優先する言葉だから馴染みやすい。いや、それでしか生きられない。生きてこなかった。

 それが、社会というものを成り立たせて来たのは事実。それを、いとも簡単に、「かぶりもの」と一瞥するのだから、「なんという人だ!」と言いたくもなるだろう。

 他人は、
「身もふたもない」と言うが、それが事実だから仕方ない。「身もふたもない」ことのように思われるがゆえに、悲観論だと批判される。あえて悲観論と言うのならそれでもいい。それは、輪廻を目指す世界観からの言葉だから気にもしない。

 でも、その長老の言葉が理解できてしまう私も危ない。そう!注意しておかないと、誤解を招くことになる。だから、長老もその辺りは十分承知していて、あまり今日のような直接的なことは控えていたように思う。

 それだけ、今日は皆に、本気を出してもらいたかったのだろう。



仏教ブログ

meisou358

Author:meisou358
テーラワーダ仏教ブログへようこそ!

天気予報

蝶が舞うリースの時計

触れると逃げてしまいます

カレンダー
06 | 2018/07 | 08
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
ご訪問者数
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR