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慢との付き合い方

 いったい慢って何でしょうか?
慢って本当にわかりにくいものです。人を自己破壊するところまで陥れますが、慢を巧みに使うなら、解脱に達するまで応援してくれる衝動にもなるのです。
これは、「慢をもって慢を制する」ということです。仏教では、怒りをもって怒りを制するとは言いません。毒をもって毒を制するということはありません。「慢をもって慢を制する」のです。
 
慢をうまく使う
あなたに、このような情報が入ります。「ある比丘が精進努力して、一切の煩悩をたち、心解脱、慧解脱に達し、この世で一切の苦しみを乗り越えている」と。いわゆる、誰かが完全に悟ったという情報が入ります。このとき、「kimangam panahaniti」と思ってください。
「kimangam panahaniti」という言葉は、なかなか難しいパーリ語で、英語では「Why not me!」となります。意味は、「なんで私にできないのか!」「私にもできるはず!」「私にできないはずがない!」ということです。誰かが覚ったと知ったときにはそのように思いなさい、と。慢を拠りどころにして、慢を断つのです。
そこで、「立派な人と等しくなりたい」というのは、とんでもない高慢です。でも、この高慢をうまく使うなら、本当に自分も立派な人と等しい人格者になるのです。
このようにして、慢で慢を制することができるのです。

〜小冊子
「慢とのつきあい方」(2016年パティパタ付録)〜






【2】日常生活の中での冥想の仕方

 
HOME「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)2日常生活の中での冥想の仕方 
釈迦尊の教え・あなたとの対話 疑問・質問・反論のページ


2日常生活の中での冥想の仕方2 
Q: 先月から冥想に関する質問をさせていただいていますが、基本的なことで、冥想のときというのは心はどのような状態でいればよいのでしょうか。
A:
 ヴィパッサナーでは、心はいつも活き活きとしていてほしいと思います。歩く冥想などでは特にそうですが、寝るときでも元気に寝る、起きるときでも元気に起きるということです。落ち込んだりすると心にはよくありません。ヴィパッサナー冥想自体も当然、とても明るく、活発にやらなければいけないのです。
Q: 冥想のときは、静かに落ち着いてゆっくりと、というふうに考えていましたが、じっくりゆっくりということだけでもないのでしょうか。
A:
 そうですね。元気にやることが大切ですから、歩く冥想なども、特にゆっくり歩く必要はありません。自分のペースで速く歩く場合でも、そのときは 「左足、右足、左足、右足」 と足の速さに合せて、動きに気づき言葉をかけるようにすればよいのです。いつものように、足を上げる、運ぶ、降ろす、と教科書通りやらなくてもー向に構いません。
先月お話しましたように、家の中でいろいろな雑事をするときも、言葉で確認しながらやってください。そうすると、様々な宗教でいう 「不思議な感覚を感じる体験」 などというものとは全く別世界のものになっていきます。
妙な不思議体験などを求めたり、陥ったりしないよう、日常生活の中でどんどん言葉をかけて、冥想を行う方がよいのです。
Q: 日常の様々な忙しい生活の中で、いちいち動作を確認したり言葉をかけることは、難しいことのように思います。
A:
 そうですね、大変ややこしいことです。やりにくいのです。そのやりにくいことを我々は大変大事にしているのです。それを続けると、心が生き返ってくるのです。すごく力がついてきます。大きな力がないと修行は進みません。大きな力がついてきて、心にエネルギーが出てくると、ものの感じ方がものすごく敏感になってきて、言葉ではもう追いかけられなくなります。感じるほうが言葉より早いのです。そうなったときには、心はすごく元気なはずです。
 だからといって、こんな面倒なことはやりたくない、楽にやりたいと、最初から言葉をかけずにやろうとするのは、怠けとしか言いようがありません。楽にものごとをすませようとすると、結局何も得られないということになります。掃除機をとるときでも 「掃除機をとります」 「コンセントを引きます」 「スイッチを入れます」 「掃除機をかけます」 「引きます」 「押します」…というように続けてください。
Q: 何も得られないとは厳しいお言葉ですが、確かに日常生活の中で言葉をかけてということは大変なことです。できるだけ、つまり短い時間だけ実行してもよいでしょうか。
A:
 掃除機をかけるときまで、言葉をかけているとくたびれてしまうのです。そうするとそこでやめてしまう人が多い。仕事も早く終わりたいのに、言葉をかけているとえらく時間がかかって遅くなってしまう。でも、くたびれてもやって欲しいのです。
それでもやる人は、どんどん元気になっていきます。心が妄想から離れて、無駄をなくし、効率よく行動するようにと、自然と変わっていくのです。その基本的なエネルギーを作りながら、ヴイパッサナーは進んでいきます。長い道のりです。毎日、1時間というのは最小限の時間でしょう。でも1時間づつ歩き冥想を続けることで変わっていくことができます。
Q: 冥想中、つらくなったときにはどうすれば良いでしょうか。
A:
 冥想中に、たとえば吐き気がしてトイレに行ったとします。そのときはああいやだとか、この状態は嫌いだとかなんとか、「いやだ」 というような言葉は頭の中から消すように努力すべきです。
それは冥想に限りませんよ。どこかからだに痛みがあっても、みんなに悪口を言われたとしても、どんなことがあってもそれを 「いやだ」 と考えるのではなく、その状態は自分がぶつかるべくしてぶつかったひとつの現象として、正面から堂々とそれに出会ってみてください。
病気のときもそうです。病気という状態、痛みの状態、不自由な状態、気持ち悪い状態、そんな状態をよく見て味わうのです。そうすると不思議に奇跡的に病気そのものを乗り越えてしまうことがあります。
Q: からだの痛みにせよ、人からいわれる悪口にせよ、自分のつらいこと、弱い面を、まっすぐに見るということでしょうか。
A:
 実は、冥想を始めると、我々の性格の中にある 「弱いところ」 がまず出てくるんです。冥想なんてとても単純な、言葉で確認するだけのことなんですけどね。足を上げます、運びますとか、ふくらみ、縮みとかね。不思議なことに、もし性格として直さなきゃいけないような、正さなければならないようなことがあるならば、すぐにそれが出てくるんです。いわゆる、人格の 「弱み」 が、先に表に出てくるんです。それでそこでめげてしまったら、進歩はありません。でもありがたいことに、一番先に出てくる自分の弱みは、すぐに直ります。直る順番に出てくるんです。それで直ったら次が出てきます。出るときは次から次へと出てきます。でも、気にしないことです。
Q: 自分の中の弱みが「出てくる」とは、どういうことでしょうか。具体的に言うと、どのようなことでしょうか。
A:
 たとえば、からだのどこか悪いとそこが出てくるんです。それでみんな怖がってしまうんです。こんなことをやっていたら、自分はもっと病気になるのではないかと。でもそうはならないのです。ものすごく食べものに執着のある人ならば、「もう時間になったのに、今日は食べられないかもしれない」 そういう心配が出てきたりする。そういう自分の弱みがあるとすると、心はその弱みを握って 「冥想実践をやめてください」 と言ってくるのです。
心は自分を変えたくない、直したくないのです。隠れて、隠れて逃げまわりたいのです。
弱みを握られたら言うこと聞いてしまいますからね。子供が誘拐されたら、どんなにけちな親でもお金出してしまうように。それと同じです。ですから皆さん、このように出てくるいやな現象には、ありがたいと思うべきですね。
それを確認していけば、すべて直っていくのですから。心の問題も、からだの問題も。
 眠気が出るのはごく普通のことで、そういう方にはまずそれが問題です。でも、眠気には2種類あって、ただ疲れて眠気が出る場合は、2回、3回と座り冥想を続ければなくなります。そういう場合は別に気にすることはない。それから妄想がどんどん出てきます。何回も冥想を続けると妄想に気づく回数も増えて来ます。妄想というのはいくら確認しても、ラベリングしても、次から次へと出てきます。それは別に悪い現象ではありません。この妄想ともう1種類の眠気については、来月、もう少し続けてお話したいと思います。
(みなさんからのご質問等をスマナサーラ長老にお聞きし、PATIPADÂ 編集部でまとめました)
 





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