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2015年11月10日神奈川県二宮町での講演メモ

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10月5日朝日カルチャー法話メモ

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脳とあなた(6)

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10/22法話メモ

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10/20法話メモ

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初心者の質問

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実戦から離れて

実践から離れて仏教を哲学にしてはいけない 。釈尊はそう戒めています。人間の思考はすべて捏造(papañca)に基づいています。それをそのままにして『ブッダの言葉』をあれこれ解釈しても意味がない。ただ「自分の煩悩をかき混ぜるスプーンとして仏教を使った」という程度のことになるのです。 


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9月24日月例講演会法話メモ

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冥想初心者の所感(1)

 
皆様、こんにちは。今年から冥想に取り組み始めた木村です。
この度「冥想を始めて間もない人の考えは、経験者の方にも参考になるのでブログ投稿してみては?」という有難いお話をいただき、拙い内容ではありますが、投稿させていただきました。冥想に関する考え方に誤りがあるかもしれません。そのような場合はご指摘いただければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。
 
■テーラワーダ仏教との出会い
はじめに、テーラワーダ仏教を知る前の、私の仏教や宗教に対する感覚を簡単に述べますと、
 
・実家の亡き祖母と母は浄土真宗だが、私自身は仏教について何も知らず、むしろ「お薬師様にお願いすればすべてうまくいく」という母の言葉に懐疑的
 
・お寺や神社に抵抗はないが、「宗教」という言葉の響きには抵抗を感じる(オウムの影響?)
 
というものでした。また、子供の頃から心が弱く、強い心になるにはどうすればよいかと、メンタルヘルス、自己啓発の分野の本を色々と読み、試しましたが、成果は出ませんでした。
 
そして、自分にとって最悪の精神状態のときに、姉に薦められて、スマナサーラ長老の「仏教は心の科学」を読みました。スマナサーラ長老が語られるテーラワーダ仏教の教えを読んで、やっと納得の行く教えに出会えた気がしました。
 
テーラワーダ仏教を知って以降、心の救いを求めて書店のメンタルヘルス系のコーナーをうろつくこともなくなりました。当時、宗教のコーナーに目を向けることはなかったため、「スマナサーラ長老の本が宗教以外のコーナーにも置いてあったら、もっと早く出会えたのに!」と今でも時々思うことがあります。過去に思いを馳せる悪い癖です。
 
■当初、冥想の重要性に気付けず……
お釈迦様本来の教えの素晴らしさはすぐに感じ取れたものの、冥想実践に取り組もうと思うまでには長い時間がかかってしまいました。
 
今でこそヴィパッサナー冥想について「実況中継をして頭の中を忙しくすることで、悩み苦しみという思考・妄想を追い出す」と理解をしていますが、当時は実況中継することでなぜ苦しみから心が解放されるのか、あまり理解できませんでした。「実況中継中に悩みから逃れられても、結局、悩んでいる問題自体が解決しなければ、意味はないのではないか?」という具合です。
 
当時、私は「悩み苦しみ(喜び)は自分の外側にあるもの」と思い込んでいました。「私を取り巻く人々、環境、出来事……が、私にとって良い状態であれば私は幸せだが、悪い状態にある限り私は不幸だ」という図式です。今思うと周囲への期待が大きいだけで、大変恥ずかしい、傲慢な考え方なのですが、当時はそれが当たり前だと思い、身の回りで起きる出来事次第で「私はなんて不運(幸運)なんだ」と右往左往していました。あまりにも無明の闇が深すぎて、「問題は周囲にあるのではなく、心のあり方こそが問題である」ということに、なかなか気づけませんでした。
 
そのようなわけで、当時は「冥想実践は大変そうだし、とりあえず置いておいて、テーラワーダ仏教の概念だけを今後の生き方の参考にしよう」という、何とも横着な考えに落ち着きました。そして、最悪の精神状態を抜け出した後は、また元通り五感の楽しみを追い求める生活へと戻っていきました。「五感の楽しみを追い求めることが、人生の楽しみ」という思い込みが依然続いておりました。それから数年、感情の振れ幅こそ小さくはなりましたが、結局「上手くいっていると感じる時は舞い上がり、悪いことが起きる度に落ち込む」という、周囲に振り回される心は変わりませんでした。
 
しかし、今年に入り何かと重なって、心が苦しみでいよいよ立ち行かなくなるような感覚に陥りました。毎度毎度、身の回りで起こる出来事に心をかき乱される自分自身に、ほとほと嫌気がさしました。一生、心の浮き沈みが繰り返されるのかと危機感を覚えました。物心がついてからこれまで、何の進歩もなく弱い心のままで来てしまったことを痛感し、今後は自分の身に起きる良いことにも悪いことにも振り回されない心になりたい、と改めて思いました。心を育てるためにはテーラワーダ仏教の教えをもっと真摯に学ぶ必要があると感じました。そして、ようやく「スマナサーラ長老がおっしゃっていることに素直に従って、冥想に取り組もう」と思うことができました。
 
■冥想実践、始めました
その後、「心を清らかにする気づきの瞑想法」のDVD視聴による実践、スマナサーラ長老の初心者冥想指導、熱海の冥想合宿への参加、自主冥想会への参加と、冥想実践を続け、現在に至ります。
 
冥想実践においては、妄想雑念惛沈睡眠と課題だらけですが、細々と続けている日々です。冥想指導を受けて感じたこと、冥想実践をして考えたことなどについては、またの機会に書かせていただきたいと思います。お読みいただきありがとうございました。
 
お幸せでありますように。
木村 


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今しかない!

長老が存命のうちに

 本やビデオで見て学んでも・・・、と危惧する。

 その一の理由は、私の人生のなかでいやという程経験した。痛い思いがある。個人的なのでここでは省略するが、それから学んだことは大きい。いや、それでしか人間は学べないものである。会社で、学校で、人のなかでもまれて学ぶものである。それは一に、二に、人と対峙してこそである。人と調和を保つことも、争うこともある。

 結局、今までの人生を振り返っても、正しい知識がなかったゆえ、長い人生といえども、人格向上、心の精進に繋がったかというと怪しいものがある。

 道が見えるのは、転機というか、覚悟が出来たときである。大病したとき、深く悩んだとき、或いは自分に大きな責任がかかったときなどと、いくつかの人生の転機が人それぞれにあるだろうが、そのなかでも、ハッキリとこれが転機だと言えるものは数少ない。

 私にとっても、二、三しかない。その中のひとつが、大病であった。しかし、そのおかげで真の仏教に出合うことができた。まさしく、大転機だ。

 あのとき、二人の師に出合わなかったら、まだ迷いの世界に居たでしょう。そう、師に対峙して、話して、初めて覚悟というものが生まれた。決心をした。

 覚悟が生まれてこなければ、何事においても、やり抜くことはできないだろう。その生の人間に対峙して、その生臭さの活きた感触を感じてこそ、真の覚悟、決意が生まれる。

 もし、その代わりがなくて、本や、テレビ、画像などで学んでいたら、そんなに、おおきな覚悟はできなかっただろう。
偉大な師だったという人の本や、映像だけをいくら見せられても、そこに生の声がない。活きた臭いがしない。そこでは、どんな人間も、活きた感性は生まれてこないものである。それは自然の成り行き、法則だ。知識だけでは・・・。

 だから、まだ、長老が健在のうちに、その声を聞き、顔を見て、決意、覚悟が生じるまで熱意を持ってぶつかっていかなければ、これから先、おそらく、今以上に、仏教は盛り上がらないだろう。それは、日本テーラワーダ仏教協会という団体のことではない。個々の我々においてである。若いから、時間がまだあるからと、無意識にでも思っていたら、アウトだ!

 今しかない!と。


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仏教ブログ

meisou358

Author:meisou358
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