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初心者冥想指導メモ

(2017年10月1日名古屋IMYホールにて)

冥想指導の音声→ 初心者冥想指導20171001


 
2017101()
名古屋初期仏教デー初心者冥想指導
00:00:10
今日は時間的に厳しいので、短く省略して話します。分からなくなったらいろいろ本に書いていますから、本で読んでください。
 
我々は修行して心を育てたいのです。仏教的には、心の煩悩をなくして、完全な清らかな心を作って、解脱に達することです。
 
まだまだくだらない、このような意味のない命を繰り返さないことにすることが仏教的な目的なのです。このようなことが分からないなら、皆様は、立派な人格者になるということを考えても構いません。
 
<思考・妄想による心の傷>
心というものは、不思議なもので、心をいじめないで放っておけば、成長して行くのです。我々は、心をいじめて、いじめて、いじめて、無理をさせようとしているのです。心に無理を頼んでもできません。無理なことは無理ですからね。
 
どのような無理をさせているのかというと、一つは、現実を一向に気にしない。自分の心の中で物語を作って、その通りに人生が回転して欲しいと思っているのです。
 
物語を自分勝手に作っても、心はこれを実現することはできません。だから、心は、派手に、クタクタ、いじめられて、悩まされて痛い目に合わせられているのです。自分がやっているのです。
 
幸福に生きるためには清らかな心が必要なのです。我々は、それをクタクタになるまで、カナヅチで打つような感じで、潰しているのです。
 
自分で自分をいじめていない?自分で自分を責めていない?だから、自分で自分を責めているならば、自分が不幸なのは誰のせい?
 
だから、「人間は愚か者だ」と、お釈迦様が言っているのは、幸福になりたいと思っているわりには、自分でわざわざ、心をいじめて、不幸の道をスピーディーに走っているのです。それから、他の人々に「どうやって、もっとスピードを上げられますか?」と、不幸に行く道を聞くのですね。
 
ブッダの冥想は、そういう(世間の)啓発、開発とかのくだらないものとは全く違う。
00:05:00「あなたはいつでも億万長者になれる」とかいうような本は、いつでもベストセラーでしょう。ああいう本は、地獄へ行く道を早める意外なんでもないものなのです。
 
私たちは、心をいじめていると言うのは、ブッダの世界から言うと、思考、妄想をしているのです。それが本物のいじめなのです。何か思考したら、何か妄想したら、もうその分が心にちょっとした傷が入るのです。
 
思考の中で億万長者になりたいとか、とんでもない思考だったら、かなり傷跡がひどいのです。
会社の連中は気に入らないんだから、もう仕事辞めたとか。そこから妄想し始めるでしょ。
 
人のことを嫉妬したり、憎んだり、「あいつはとんでもない、けしからん奴だ」とか。「早く死んだ方がいい」とか、「不幸になれ」とかね。と、言った途端、誰が不幸になる?言った人が不幸になるんです。言われる人は何のこともないのです。
 
皆さんは、それほど、人のことを嫉妬したり、憎んだりしないかもしれませんよ。だからと言って心をいじめていないわけではないのです。
 
要するに、ブッダが精密に「思考する、そのことが問題だ」と。本当は我々は、思考していないのです。ただ、感情で、心のなかでストーリーを作っては回転する。また、ストーリー作っては回転する。いつでも、頭のなかで、色んなストーリーが流れているのです。
 
これは止められないのです。何か入ったらすぐストーリーを作る。ものすごい瞬間に作るのです。
 
冥想というのは、何もする必要がないのです。思考を止めるだけです。私がよく使う言葉は、「思考」ではなくて「妄想」です。役に立たない思考は妄想ですからね。
 
たとえば、「ここにあるコップを向こうに置こう」と、(理性的に)考えるのは妄想ではないのですね。
反対に、「ここにあるコーヒーカップは邪魔ですね。誰が置いたですか!どこかへ行けばいいのに!」と(感情的)、それは妄想です。それは、自分の心をいじめているのです。
 
そのとき、すごく苦しみを感じますよ。「なんでこのテーブルの上が片付いていないのか!」とか考えたら、ものすごく心が苦しむのです。自分自身が苦しくなっているのです。
 
00:10:35
そういうわけで役に立たない思考はすべて妄想で、妄想したら苦しい。妄想したら苦しい。これどれぐらいやるかといえば、膨大にあるのです。1秒も止まらない。
 
冥想が難しいというのは、これなんですね。だから、思考を止めなければならない。思考を止めたら、心をいじめることが止まるのです。楽になってくるのです。
 
そこで時間をかけると、心がものすごく早く、完全に治してしまうのです。心が清らかになって、心が清らかになると、再び妄想のカナヅチで打たれないようにしたいのですね。
 
傷跡を全部治してしまって、ピカピカ状態になると、思考なんかいらないとなる。それで、まあ、智慧が現れて解脱に達します。解脱について分らなくてもいいのです。
 
そこは論理的なポイントなのです。皆様はこれから何をするべきかと言うと、思考を止めるべきなのです。
 
思考を止めるということを説明すると、膨大な説法をしなくてはいけないのです。かなりの時間がかかる凄くデータがあるのです。思考とはなんぞやとか、なぜ思考をするのかとか。どのようにして思考をするのか理解した方がやりやすいのですが、時間がないのです。
思考とは、概念をかき回すことなのです。概念とは、幻覚なのです。真理ではないのです。これ(そこにあるコップ)を見た瞬間に「これはコーヒーカップ」「これはティーカップ」という概念が生まれる。
 
本当にこれは「コーヒーカップ」ですか?「ティーカップ」ですかね?ではないのです。眼で見て、色々な経験から組み合わせてストーリーを作ってしまうのです。そこで「ティーカップ」という認識が生まれてしまうのです。
 
そこでその概念が回転してしまう。例えば、壁、空、手、カバン、紙とか色々な単語が現れる。瞬時に現れる。
 
後ろを振り返って見てください。見たら言葉が生まれたでしょ!?見た瞬間で言葉が頭に入ったでしょ!?「これはこういうものだ」と。その概念が頭に入ったらいくらでも思考できます。
 
概念は宇宙の真理ではなく、人間のごつい色眼鏡で見たものなのです。
 
(00:15:13)
そういうことで、人間の眼、耳、鼻、舌、身体で感じる世界というのは、我々は内の世界を作るのです。それで概念が現れて回転するのです。思考自体が嘘です。真理ではないのです。真理は変わらないものなのです。
 
思考すること妄想することを止めれば、すぐ真理を発見するのです。皆様においては、心の傷が消えて、心が治って綺麗になるまで修行をして欲しいのです。
 
心が綺麗になっていると、現象世界として真理の世界がなんとなく入ってくるのです。その時は、まあ、大丈夫です。真理の世界に入ったら心は成長します。「今まで騙されていた」ということになるのです。
 
次、「思考はどうやって止めるのか?」と。こちらは実践だから、理論ではなく方法です。理論はあるのだけど、まずは方法を勉強しましょう。
 
妄想する時は、我々は、頭の中で言葉使っていますね。言葉の裏に概念があるのです。いわゆる、言葉には意味があるのですね。意味があるとは概念があるということです。
 
そして概念と一緒に価値判断もあるのです。このティーカップが良いものですか、悪いものですか、綺麗なもの、汚いものとか。
 
皆さんはこれ(ティーカップ)は皆さんのものではないのだから何の感情もないと思っているでしょ!?でも、私がここで、がツーンと壊したら「えっ!」と思うでしょ!?「何やっているのか、勿体ないでしょ!」と思うのですから、結局は価値を入れているのです。
 
価値という感情で、怒り、嫉妬、憎しみなどなどなのです。それで考えると、怒り、嫉妬、憎しみなどの感情が竜巻きのように回転してしまうのです。すごいエネルギーになる。それらは全て悪業になる。悪業になって自分の業をものすごく強化するのです。その結果、人生が全くうまくいかなくなる。
 
思考を止めること自体が、ものすごい善業なのです。
 
その方法は、私たちは実況中継するのです。ストーリーやめて、実況中継するのです。実況だから、今、ここで、起ることを実況して超忙しくするのです。いつでも、今という瞬間に何かが起きているのです。それを実況するとものすごく忙しいのです。超忙しくなると思考できなくなるのです。
 
ある程度で、冥想は、シンプルで簡単です。ある角度から見るとものすごく難しいのです。
 
<手をあげる冥想>
00:20:20
冥想の対象を、自分の体に関係のあるもの、体がやっていることの何かを選んで実況するのです。生きていることは体を使っていること。ずーと偉そうなことはやっていないのです。ただ、体を使っていただけです。
それで何かを決めて実況中継する。修行としてあえて意図的にやらなければならない。例えば、手を挙げる。日常的ににも手を挙げたり、伸ばしたり、何かを取ったりする。しょっちゅうそれをやってきたのです。他に偉そうなことをやっていないのです。それを実況する。
 
「あげる、あげる、あげる、あげる、あげる、あげる、あげる、あげる、あげる、あげる」「下げる、下げる、下げる、下げる、下げる、下げる、下げる、下げる、下げる、下げる」「置く、置く、置く、置く、置く」これが冥想です。
 
私は実況中継の間、喋ることできなかったんです。頭の中でストーリーを作ることができなかったのです。だからほんのわずかな時間で、いい冥想をしたんです。このわずかな時間でも、強力は善行為になったのです。
 
善行為はたくさんありますが、その中でトップはヴィパッサナー瞑想なのです。難民を助けたり、病人を看病することやボランティアやらたくさんありますけど、世の中の全ての善行為のトップは実況中継です。善行為の王様ですから、どうしても業の中で一番先になるのです。他の業は後ろに回って待っていなければならないのです。
 
ヴィパッサナーをやると、ものすごく強い業が生まれるのです。それは先に人生の結果出してくれます。だから冥想を始めたその日から、皆様は幸せになります。日常の問題はすべて消えていきます。
 
00:25:58
まず手を挙げることからやっていきましょう(・・・以下、手を挙げる冥想の指導)
 
体は物質です。手というのはただの物体です。この物体の中に感じるという何かの働きがあるのです。このティーカップという物体には感じるということは全くない。
 
手も物体ですが、ティーカップと違うところは、感じるという能力があるからです。物体の中に感覚が入ると、命なのです。感覚がなければ、物体は動かないのです。
 
こちらにあったスプーンがこちらに移動したのはなぜ?私に感覚があったからなのです。スプーンには移動の能力はないのです。私の感覚がそうしたのです。心がそうしたのです。だから、物質より心の方が偉いのです。
 
物質は物理的に動くだけ。地震があったらこのカップが倒れるかも。
 
00:29:53
というわけで、心が、物質の法則と反対に動くのです。西洋文明では、物理法則を発見しても人の心の法則を発見していないのですね。ニュートンが万有引力の法則を発見しても、自分が立っていることに気づかず、つまり、引力と反対に働く現象を発見していないのです。物理法則だと人間は立てません。このスプーンは立てますか?どうやっても立てませんよ。
 
だから人間が立てることは、摩訶不思議でびっくりすることなのです。人間が歩くことは摩訶不思議でびっくりなのです。これを発見できないんですね、
 
科学者に。「科学の一切の法則に関係なく反対に働くエネルギーがあるんだ」と。
 
だから、目に前で不可思議なことが(常に)起きているのです。心が割り込むと反対方向に働くのです。
 
そこで、心も勘違いして、反対に行きたいのですね。我々、死にたくないでしょ!それはやり過ぎ。反対に行くのはいいのだけど、そちらにはそれなりのリミットが有ります。
 
そういうことですから、手を挙げる場合は、集中して、この物体の中にある感覚のおかげで、手を挙げれますね。ですから、手を挙げるときに微妙に感覚が変わるのです。
 
この微妙に変わる感覚を感じてみてください。その微妙に変わる感覚の中で、膨大な計算が起きて手が上がっているのです。ものすごい心の計算が起きていますよ。
 
皆様は、手をスローで挙げないと分からない。パッと挙げてしまうと分からなくなってしまうのですね。だから、早くやってしまうと無知。
 
実況中継して、心の中に何もない、心は「空」の状態。「空」は仏教用語ですね。私は最近それも使うかなぁと思っています。だって、日本文化では「空」という言葉はどこにでも入っていますけど、誰一人もその意味を分かっていない。般若心経自体が間違っているのですから。
 
00:38:58
皆様は実況中継して、データを取るだけ。結論は出さない。感覚を感じて、感じて、感じまっくって行くと、大量なデータが溜まってくる。もしかすると、皆様だったら、一年ぐら経ってからかもしれません。毎日一生懸命するならば、1日、2日で分ります。自動的に結論が見えてくる。
 
「瞬間瞬間、感覚が違います」と。「まったく似ているはずなのですけど何か違う」と。「似ていて似ていないのだ」と。「似ていて似ていないのだ」という言葉をよく覚えておいてください。世界はいつでもそうなのです。
 
00:39:51
体がそうでしょ!昨日の体と今日の体が同じだと思っても、同じじゃないですね。明日貰う体もまた違うのです。似ていて似ていない。
 
00:40:00)〜(00:49:18手を挙げる冥想実践
心が空という何も無いという、ゼロという状態になる。日本語で言われている「空」は、サンスクリット語で「スンニャ」と言いますが、「空」ではないのです。ゼロという意味です。
 
ゼロというのは何も無いという状態ではないのです。面白い数字ですゼロは。足すとややこしい。引くとややこしい。足しても引いてもややこしい。足したり引いたりすると現象の世界が無限に現れてくる。
 
例えば、ゼロに1を足して、足して、足していくとどこで終わりますか?終わらないでしょう。引いても同じく無限に行ってしまう。
 
だから、余計な世界に我々は、嵌められて閉じ込められて、苦しんでいるのです。ゼロになったら、足すことも引くこともない。それで完全な安全な状態になるのです。揺らがない状態になるのです。
 
ゼロに足したのは、心の中に何か問題があったのです。心は、スンニャで、ゼロであったら良かったのです。何かあったのですね。(ゼロから)転がったらもう終わり。無限にある輪廻転生になってしまうのです。
 
冥想で、あの何か有った状態を取り除く。それで空になる。スンニャになる。ゼロになるのです。
 
今、皆様に、このゼロになる状態を経験させて、させて、させているのです。それで、皆様が、携帯でくだらないことやるよりは、実況中継やることが「なんと幸福か」と。「なんと幸せですか」と、どんどん感じ始めるのです。
 
「何もないことが、安全で、安穏で、落ち着きである」と。
 
修行して、遠い、遠い、どこか解脱という、天国にある門を開くのではないのです。こちらに、今ここにある不安定をなくすのです。今、転がっていますね、心が。
 
今みなさんは何分間か空の状態を経験しようかと思ったのです。だからその意味を入れてさらにやってみましょう。それから、皆様、一人一人でいろんな冥想を見つけてください。
 
もう皆さんできます。基本は実況中継することです。一つ例をあげます。ここにスプーンがあります。それを取ってこちらに移します。(スプーンを手に持って移動させて、別のところに置く作業を実況中継する)
 
00:55:50
ポイントは、手は(膝の上など)元にあった所に戻すのです。スプーンも元にあった状態通りに戻すのです。
 
スプーンでなくても何でもいいんです。そうやって、心が落ち着く時間を作ってください。心が清らかになる時間を作ってください。この間は、心に何も思考がないのだから、怒りもないし、嫉妬も、悩みも、仕事のことも、晩御飯の献立も考えていないし、清らかな心です。善行為です。
 
これをサンプルにして、家に帰ったから、いろんな冥想をやってみてください。もう一つ、折り紙をとって、実況中継で完璧にミミ(端)、を揃えて二つに折るのです。また、折って四つに折るのです。それで、完璧に四つに折れても、折れなくても、どうでもいいのです。(結果を気にしない。つまり、良い悪いなどの価値を持ち込まずに、何も判断することなく)それで人生の勉強になるのです。
 
あなたが、落ち着いたのか、心が空になったのかで、結果を得ているのです。折り紙が綺麗に四つに、折れたかではないのです。
 
修行では、あえてこれ(結果がどうであったかと判断すること)をカットして捨てているのです。だから、監督がいないのです。「ああ、これは合格。これはダメ!」とかいうバカがいないのです。
 
だから、完璧に四つに折れたら折れたで、別に気にする必要はないのです。やっぱり、なんかちょっと雑念が入ってしまって、ちょっと心が乱れて完璧に折ることが出来ませんでした。それで構いません。
 
しかし、「完璧に折ってやるぞ!」という意志が必要です。決して、焦っては何もやらないこと。焦るとは煩悩なのです。焦った瞬間に煩悩が入って、ガクンと深い傷跡を心に作ってしまったのです。
 
「絶対に焦りません!」と思ってゆっくりやってください。ゆっくり丁寧に折り紙を折ってみてください。私がほんとうに勧めるのはティシュペーパーなのです。不揃いですから、結構難しいのです。
 
<ティシュペーパーを使った冥想>
ティシュペーパーは一つとして同じではない。皆さんは同じと思っているでしょ!? 一個一個違うこと、「似ていて似ていない」という真理の世界を全て経験できます。
 
ティシュペーパー何枚でも使えるでしょ。一つ取って四つに折って置いといて。また一つ取って、折って。これを30分やってください。これ完璧な冥想なんです。
 
01:01:35
だから仏教は宗教ではないのです。心の科学で、心を落ち着けるものなのです。心を空にするためのプログラムなのです。皆さんにはいろんなプログラムができます。
 
まずこのプログラムをやってみてください。そして、「ああ、心が落ち着いた。ストレスがなく無った。」というのは、皆様へのご褒美なのです。
 
(意識して)ご褒美を狙ってしまうと、またすごく気持ち悪いことになる。欲になります。ご褒美は狙うのではなくて、自動的に入ってくるものなのです。
 
心が落ち着いてくると、なんとなく、やる気が出てきます。心が自分で判断するのです。「この道が正しい」と。
 
皆様にとっては、(そこは)疑いがあるかも?「これはめんどくさい!」と、まだまだ汚れた娑婆世界の心で。負の回転の世界。
 
でも、何回も何回も繰り返していくと、なんとなく、心が「やっぱり、これが本物の世界だ」と分かるところで、冥想が道に入ったのです。解脱の道に。
 
まだまだ、そんな程度では道に入っていないのです。道に入ったということは、仏教用語で預流向(よるこう)解脱の第一ステージです。心自体が、「あんなのは幻覚の嘘の世界。これが本当の真理の世界」と納得がいったら、道に入って、それで修行したら、たちまち最初の悟りのステージに達します。
 
それを私の言葉で言っても、一つも似ていない。自分自身も、前の瞬間と今の瞬間と違う。似ていないのだけど似ている。「これってそういうことだ」と。「だから、自分は居ない」と。「流れるような無情なものだ」と発見したら、悟りの第一ステージは終了。
 
そちらに入ったら、皆様は俗人じゃないのです。俗世間に居ますけど、心は違います。
 
01:04:43
この修行やる人は誰だって幸福になります。100%の確率で。記憶力は良くなるは、相当健康でいられるは。健康にいることは完璧にはできませんけど。肉体は不完全ですからね。楽しくなるは。何もなくても楽しく居られる。
 
迷信は一切消えてしまう。信仰も全て無くなるのです。「あれ信じなくては」「あのお守りを買わなくては」「あのお札を買わなくては」とかね。そういうことは放っておいて、心が自由になるのです。
 
そこで落ち着いたら、その落ち着きを壊すことは誰にもできません。ですから、第一ステージの預流果を目指して頑張ってください。
 
たとえ火山が爆発しても、地震が起きても、北朝鮮が日本に向けてミサイルを発射しても、心の安穏だけは壊れないのです。「そんなのは無常だから関わらない方がいい。」ということで。地震であろうが、ミサイルであろうが、津波であろうが、どうってことないことでしょう。
 
どうせ死ぬことですから。死に方がいろいろ違って、そこに何か問題ある?何も無い。安穏で居られます。だから、そこを目指してください。
 
大体、こんなもんですよ、冥想というのは。私は、何か特別なことをやってくださいというのではないのです。何か品物が動くこと(の実況中継)、これが一番簡単です。
 
それから、ティシュペーパー(の実況中継)をやってください。ちょっと難しい。その前に、折り紙で何枚かやってみて、それからティシュペーパーをやってみる。
 
<新しい冥想:物の整理整頓の冥想>
それもできるようになったら、もう一つ、別のバージョンがあります。わざわざ何もしない。ただ普通にいると、色々な品物が目に入る。この品物が主語(冥想対象)なのです。「品物があるべきところに置いてあるのか?」と。
 
例えば、「このティースプーンがあるべきところ(ティーカップ皿の上)に置いてあるのか?」と。スプーン様が、私は「様」をつけて呼ぶのです。このスプーン様がなぜか別なところにあるとします。それを、私は、あるべき所に戻してやります。
 
これを実況中継で「あげる、あげる、あげる、伸ばす、伸ばす、伸ばす、伸ばす、伸ばす、取る、取る、取る、運ぶ、運ぶ、運ぶ、運ぶ、運ぶ、置く、置く、置く、置く、置く、置く、放す、放す、放す、(手を元の位置に)戻す、戻す、戻す、戻す、戻す」これで、スプーン様が自分のいるべき皿の上に戻っているのです。
 
家に普通にいるといろんなものが見つかるでしょう。迷子になっている(散らかっている)物が。雑誌が、新聞が迷子になっていて。自分の机の上を見たら、迷子になっている物ばかりで、難民状態。そうすると心も乱れてしまいますね。
 
そこで、机の上でボールペン様が迷子になっている。そこで、なんのことなく「(手を)伸ばす、伸ばす、伸ばす、取る、取る、取る、運ぶ、運ぶ、運ぶ、置く、置く、置く」で、ボールペン様がいるべきところと決めたところに、戻してあげて下さい。
 
机の上にはボールペンだけではないですね。まだ、何かある。開けたままの雑誌がある。何か本を読んでぽいっと置いて置く。落ち着きない、動物の心でいるのだから迷子だらけなのですね。
 
01:10:28
そこで、本を一冊取って「取る、取る、取る、運ぶ、運ぶ、運ぶ、・・・。」置くべきところに、実況中継で戻してあげる。それを丁寧にやらなくてはいけない。
 
その時なぜ「様」という言葉を使うのかと言うと、自我を失くすためなのです。自我というのは恐ろしい幻覚で、世の中であらゆる問題を起こすのはこの幻覚なのです。ですから、金ジョンウンというイカれた奴の幻覚のせいで、世界が怯えているのです。
 
怖いんですよ自我は、その幻覚は。自我を無くせば、聖者であって、世の中に安穏、平和をもたらす。皆さんも成れますよ。世の中の生命に安らぎをもたらす太陽になるのです。ですから、頑張ってみて下さい。
 
ですから「様」を使うのです。自分のわがままで机の上を散らかしているのです。自我の錯覚を無くすのです。
 
台所に行ったらいろんな迷子になっているものが見つかるでしょ!箸様やら、スプーン様やら、カップ様などいろんな物が見つかる。そこは、すごく楽しく。自分がない(という気持ちで)その修行をやってみて下さい。
 
びっくりするほど人格が変わります。智慧が現れます。奇跡的に現れます。仏教はいっぱい奇跡があります。が、全て科学的なのです。
 
それから生きることが、すごく楽しくなってくるのです。
 
わたしは植物の面倒を見るときでも、「あなた様」という気持ちなのです。そうすると面白いのです。植物がものすごく元気で、すごくいい気持ちになるのですね。
 
私が言ったら、時期外れでも花が咲きますよ。なんの不思議もないのです。ただ宇宙の法則を言っているだけ。
 
私が花を買って、花瓶に入れておけば、私の部屋では、枯れませんよ。1ヶ月は大丈夫です。それ以上持ちますけどね。
 
そんな話を一般の馬鹿な連中に言ってしまうと、みんな不思議がるかもしれませんが、神秘的でもなく迷信でも何でもないのです。「自我をなくしなさい。」それだけです。
 
だから、このレッスンをやってみて下さい。苦しくないでしょ。信仰するもの何もないでしょ。
結果が目の前に見えます。
 
基本的にはそんなものです。
 
 
01:19:33
<食事の冥想>
もう一つある冥想は、今の基本冥想が出来たらやってみて下さい。
これはちょっと難しい冥想ですが、ガクンと悟りの世界に入る。真理が明確に見えてくる冥想です。
それは食べる冥想です。そう簡単ではありません。上級者向けです。45分必要です。
 
まず、人が入らない邪魔しない環境を作ってください。
三食の内の一つを選んでください。日常の食事として食べる。修行として食べてはダメなのです。
 
食べるものと調味料とかお茶とか必要なものは全部、一箇所に置いておく。
食べている間は何があっても立たない。
 
「あげる、あげる、あげる、のばす、のばす、のばす、とる、とる、」
 
ご飯だけ取って違う味、噛めば噛むほど味がよくなって、消えていく、味が消えたら飲み込むのです。
噛んで、噛んで、味がゼロになる。似ているようで似ていない味。
 
肉魚はむつかしい。食べてはいけないということではない。噛むと味が消えていくのです。
 
三つの冥想を教えます。
<立つ冥想>
1:35:00
一つは立つ冥想。強力に集中する必要がある。微妙にでも焦ってはいけない。体の色んな部分を動かして、自然の流れでチェックして実況してください。(座った状態から立つまでの間の細かい感覚を感じて実況する。)
「立つ、立つ、立つ」立つという言葉は短すぎるので「立ちます、立ちます、立ちます」と一コマ一コマ実況してください。
 
これは、修行者が本格的にやる立つ冥想なのです。
 
1:38:08
スタート−−−(座った状態から立つまでの間実況中継)———(自分の)指令で動かないでください。各自の実況でやってください。−−−———
 
次の実況中継は、「左足広げる、広げる、広げる」「右足広げる、広げる、広げる」と。この場合は名詞を使います。
 
左足を3ミリづつ広げる、右足を3ミリづつ広げる。これをずうっとやって、肩幅ぐらいになったら、そこで「止めます」と言って止めてください。はいスタート。———
 
 
———次の実況中継、「均等になる、均等になる、均等になる」と、実況中継して身体をじっ〜と感じてください。そのとき、体を天秤と思って、左と右をチェックしてください。体は止めたままで揺らさない。「均等になる、均等になる、均等になる」と。そうすると、足の裏から、すごくゆっくりですけど、体の全身が均等になっていきます。15分ぐらいかかります。———
 
次の実況中継は、両手を同時に、「運ぶ、運ぶ、運ぶ」と、手を体の前か後ろで組んでください。———
 
1:44:33
次の実況中継は、「伸ばす、伸ばす。伸ばす」。何をするのかと、お尻に力をちょっびっと力を入れてみてください。力を入れて、お尻から頭まで、背骨を伸ばしてください。ゆっくり「伸ばす、伸ばす。伸ばす」と、わざわざ、ゆっくりと時間かけて、お尻から頭まで伸ばしてみてください。「伸ばす、伸ばす。伸ばす」。
 
次、体を柱のように止めておく。一切、揺らぎ、動きを止める。相当頑張らないといけない。ちょっとでも揺れない。柱になってください。はい下半身を感じてください。
 
体を柱のように固定すると、派手に感覚を感じられます。感覚が足から太ももに、背中に行ったり、お尻に行ったりと、いろんなところに感覚が走り回って頑張っています。その感覚を感じてください。「立ってます、感じてます、立ってます、感じてます、立ってます、感じてます」。———
 
それが立つ冥想です。15分ぐらいでやって下さい。立つことは簡単なようですが、大変な仕事なんです。能力がなくて脳が育ってない人には結構難しいことなのです。
 
<歩く冥想>
1:49:11
次は歩く冥想です。初心者でも経験者でも、一時間は必要です。でないとデーターが足りないのです。
初心者は、時計で一時間をやりますが、どんどん実践していくと、本物の一時間、自分の本来の生命的な一時間が見えてくるのです。一時間は各生命によって違います。犬猫の一時間はすごく短いのです。(低次元の)神々の一時間は、人間の世界では一ヶ月だそうです。だから寿命が長いのです。
 
1:52:25
立つ冥想でやったように、実況中継して、ゆっくり背筋を伸ばして手を結びます。
 
私がやり方見せますので、それをみてください。「右足足あげます、運びます、降ろします」「左足あげます、運びます、降ろします」「右足足あげます、運びます、降ろします」「止まります、回します、右足回します、左足回します、右足回します、左足回します、止まります」「歩きます、右足あげます、運びます、おろします。」「左足あげます、運びます、降ろします」「右足あげます、運びます、降ろします。」「左足あげます、運びます、降ろします、止まります。」また回ります。
 
それやりながら、足の感覚だけ感じて下さい。胴体は固定しておく。胴体を動かしてしまうと集中力がなくなる。足だけの微妙な感覚変化を感じながら、実況中継で、「空」の状態をつくって下さい。俗世間のことは考えないでください。自然のペースで歩いてください。歩幅とスピードは自分がやりやすい程度でやってください。
 
1:54:45
はいスタート。———歩く冥想実践中———
2:01:16
———止まっているところになったら、「止まっている、止まっている、止まっている」と実況してください。———————
 
2:21:43
———そのまま、落ち着いて実況中継しながら、自分の座る場所まで戻ってください。座らないで、立ったままでいてください。———
 
2:22:35
———止まって、立って「立ってます・感じてます、立ってます・感じてます」と実況を変えます。
 
———歩く冥想が終わった所で、我々は、座っても同じ実況中継をしようとするのですね。何をやっても冥想は同じ、実況中継して、心は「空」の状態を保つ。
 
<座る冥想>
その間で、一生懸命、身体の感覚を感じてみる。感覚が大事です。感覚が命というものなんです。感覚には色々な波があって、思考もその一つの波なのです。
 
それで、椅子に座っての冥想はあまりうまく行かない。なぜならば、座る場合は自分の体の力で座らなくてはいけないのです。
 
感覚というのは、痛くなったからと言って気にしないでください。感覚は命ですから、もともと、痛いものなのです。歩く場合は痛くないが、座るとぎゅっと座るのだから痛くなる。それでも気にしないでやる。
 
強度の問題ですよ。歩く場合はそれほど強くない。座って足を組んだら、ぎゅっと感覚が高くなるんだから、痛くなったりはする。それでは死にませんから、気にしないでください。
 
座布団の上に座りますが、その座布団の高さが、ほんのちょっと必要なのです。そして、座布団の全部に座るのでなく、半分ぐらいにお尻をかけて座るのです。
 
2:26:11
座布団に座る場合は、坐骨の丸い部分二つあるところで座るのです。それで、足は好きなように組んでください。足を組む時も実況中継でする。
 
骨盤を少し前に倒して坐骨で固定して座る。手は好きなように置いておく、ただし、体をつっかい棒で支えるように手を置くのは止める。実況中継しながらお尻から背骨を伸ばす。結構時間がかかって、「伸ばす、伸ばす、伸ばす」と。顎を少し引いて首をまっすぐにすること。でないと眠気が入るのです。
 
真っ直ぐにして、体を足の付け根から倒す。倒すことの目的は、お尻に胴体の重さを覚えさせるのです。目を閉じて「目を閉じます、閉じます、閉じます」と実況する。
 
そこから、胴体の重さで骨盤が固く感じるんですね。感じてきたら、ゆっくり「上げる、上げる、上げる、上げる、上げる、上げる、上げる、上げる、上げる」「止める」「固定します、固定します、固定します」と胴体を固定します。それからは、胴体を置物のようにして、一切動かさない。ちょっとキツイんです。
 
2:31:18
坐骨で座る。肉体の力で座ることがとても必要なのです。。他の力を借りないで肉体が自分で頑張っている、その状態に戻らなければならない。
 
一個、一個、実況中継して、ゆっくり坐骨で座ってみてください。人によっては、足し広げた場合がいい場合もあるので、自分が安定する姿勢で座ってください。足は90度程度にして。
 
次に、骨盤から背骨をゆっくり伸ばしながら、「伸ばす、伸ばす、伸ばす」と、実況しながら頭まで伸ばしてください。
 
次、頭の上からお尻まで、意識を下げながら「力抜けます、抜けます、抜けます」。どんどん頭からお尻まで意識を下げてゆく。ある程度、筋肉がリラックするするのです。胴体はまっすぐ。
 
中には、頭の上にフックをつけてロープで体を吊るしているようなイメージを作っても良い。で体がまっすぐになる。次に背中に分厚い板を貼り付けているようにイメージ作って背中をまっすぐにしてください。
 
次に「目を閉じます、閉じます、閉じます」と実況中継してください。目は開ける時は言いますからそこまで閉じたままでいて下さい。
 
次、下腹部を風船のように使って深呼吸します、胴体は動かしてはいけません。「吸います、吸います、吸います」と無理にいっぱい吸って「吐きます、吐きます、吐きます」と全部吐き出して下さい。下腹部だけ使って下さい。風船です。深呼吸はちょっときついのです。
 
次、深呼吸をやめて「待ちます、待ちます、待ちます」と実況して下さい。なんのことなく待って下さい。身体を感じて見て下さい。
 
「待ちます」と実況しながら、下腹部に集中して下さい。下腹部の動きに合わせて実況します。「膨らみ、膨らみ、縮み、縮み」「膨らみ、膨らみ、縮み、縮み」
 
自分で意識して呼吸するのでなくて、体の自然な動きに任せてください。
 
2:40:45
膨らみの長さに合わせて、言葉(「膨らみ」や「縮み」)の回数を増やしたり、減らしたりして下さい。
 
2:43:00
では「目を開けます」と三回実況して目を開けて下さい。
また、続きがあります。座っていると、背中がどんどん曲がっていく可能性がありますから、いつでも、頭から引張ているイメージか、背中に分厚い板を張っているイメージで、いつでも気をつけて下さい。
 
ちょっと痛い状況はいいのです。あまり、のんびりという状態はやめましょう。目覚めた状態が必要です。体も心も目覚めた状態を。ですから、姿勢を真直ぐにしている状態の時間をどんどん伸ばして下さい。
 
次は、「待ちます」ということを理解しましょう。「待ちます」ということは「全てを放っておいて待て!」なのです。感覚も放っておいて、肉体も放っておいて待っているのです。待ってみて、あらゆる現象だけを実況する。
 
本当にプロ(アナウンサーなど)の実況中継する人と同じく。その時、第三人称で実況するのです。膨らんでいるなら「膨らみ、膨らみ、膨らみ」と、自分ということを消す。自分というものは終わった、もう自分はいなくなったと。
 
「膨らみ、膨らみ、縮み、縮み」あくまでも他人のように実況して下さい。「これが私」ということはないのです。「膨らみ、膨らみ、縮み、縮み」と。
 
「膨らみます、縮みます」は使ってはいけません。第一人称になる可能性があります。第三人称を気をつけて覚えておいて下さい。「膨らんでいる、縮んでいる、膨らんでいる、縮んでいる」
 
2:45:15
次に、冥想で危険と言ったのは、思考、妄想することなのです。実況中継は、普通にやってゼロになるだけ。心をゼロにする。
 
<思考は悪魔>
だからダメなのは、邪魔なのは、障害なのは、悪魔とは思考雑念です。思考が入ってきたら、直ちに、瞬時に「妄想、妄想、妄想」と言って下さい。なぜなら、思考が入ると、せっかく清らかになった心が、汚物が大量に入った感じで汚れてしまうからです。せっかく善行為したのに、突然、悪行為になってしまうのです。
 
だから、悪行為をしてはいけません。悪業をしてはいけません。だから、すぐ雑念が入った瞬間で「妄想、妄想、妄想」と三回実況して潰して下さい。
 
雑念が入ったら「妄想、妄想、妄想」と処分する。それから、「膨らみ、縮み、膨らみ、縮み、膨らみ、縮み」。また雑念が入ったら「妄想、妄想、妄想」。また、「膨らみ、縮み、膨らみ、縮み、膨らみ、縮み」。
 
分っていないんだから、どれぐらい雑念入るかとかね。それはもう我々には分りません。だから入るたびに処分する。それをよく覚えておいて下さい。思考してはいけません。
 
これは論理的な立場。実際は、やっぱり考えてしまうんですね。そうすると、処分する。
 
家には、ゴミがあってはいけませんでしょ!?だからと言っても、家にゴミはたまるでしょ!?どうする?処分する。(同じようにして、思考もすぐ処分する)
家があったからと言って、ゴミが溜まらないわけないんだからね。みるみるうちにゴミが溜まるんだからね。
 
そういうわけで、雑念が入ったら「妄想、妄想、妄想」。また、入ったら「妄想、妄想、妄想」。
だから、妄想、思考は、ゴミ、汚物だと思ってください。
 
宗教的な言葉を使うならば、(妄想、妄想は)悪魔なのです。これは本物の悪魔なのです。あの文化的な悪魔ではないのです。自分の心にある妄想、雑念自体が悪魔であって、自分の幸福を粉々に壊すのです。心には、貪瞋痴の煩悩を作りたい放題。千二百の煩悩を作りたい放題です。だから自分の思考が本物の悪魔ですよ。そう思わなくちゃいけないのです。それが事実です。だからそれぐらいの気持ちで、汚物が入ったら処分してください。
 
汚物という表現が嫌ならば、ゴミと考えてください。ちょっと精神的に問題がある人々には、妄想が止められないのです。だから、そういう人々には、悪魔とか汚物とか思ってもらわないといけないのです。
 
皆様の精神状態によって、言葉を選んでください。
 
 
2:49:30
はいそれではもう一度(座る冥想実践を)やります。背骨を伸ばします「伸ばす、伸ばす、伸ばす、伸ばす、伸ばす」
頭からお尻まで意識下げながら「力抜けます、抜けます、抜けます」。
分厚い板を背中に貼って固定している(または、頭の上から吊るされた)イメージを作ります。
 
下腹部を風船のように使って、深呼吸をしましょう。「吸います、吸います、吸います」「吐きます、吐きます、吐きます」三回繰り返す。
 
深呼吸をやめて「待ちます、待ちます、待ちます」
下腹部に集中しましょう。自分がいないという想定で「膨らみ、膨らみ、縮み、縮み」。はい、スタート。
 
雑念が割り込んだら「妄想、妄想、妄想」三回(心の中で唱える)
 
では、「目を開けます、開けます、開けます」と三回唱えて、目を開けてください。
 
2:55:53
続きがあります。床に座ったら、結構痛くなります。これは悪いものじゃないのです。人によってはすごく痛くなる場合もあるし、それほど痛くない人々もいます。業だから仕方ない。
 
大体、痛くなる人々は、心がすごく冷めにくい。脳にも問題があるのです。脳がすごくのんびり、ピシピシと素早く動かない。活性化していないのです。
 
それで、おかげさまで、痛みが出てくるのです。そうすると、脳細胞にしては、寝ている場合ではなくなるのです。目覚めてスタンバイ状態になるのです。それがすごく必要です。
 
冥想で、40兆の全細胞をスタンバイ状態にしなくてはいけないのです。そうなるまで。
 
だから、皆様は、伝統的な冥想で、洗脳されていて誤解があるのです。「冥想とは、何かゆっくりのんびり寝ることだ」と。そうじゃないのです。世の中で一番難しい仕事なのです。
 
だから、全ての細胞を怠けさせないで、スタンバイ状態にするのです。しかし、仕事をさせない。仕事は俗世間的だからね、スタンバイ状態になったら全ての状況を把握してしまいます。
 
舞台では、「グゥー」と寝ている?違うでしょう!緊張しているでしょ!「今の状況はこれで、次はこれで、それが終わったら私の出番だ」とかね。(状況を把握しているでしょう!)
 
集中力の一番頂点ですよ。我々の日常の言葉で「全ての細胞がスタンバイ状態!」と。それが集中力です。活性化している状態です。
 
ですから床に座るのです。座ることは結構、体の力を使います。その場合、脳がボロぐるまのようで、なかなかスピードを出してくれないときは、痛みが出てきて、あの緊急状態、スタンバイ状態を作ってくれるのです。
 
それに、負けて「ああ、痛い!」ではなくて、痛みが出てきたら「痛み、痛み、痛み」とそのままの状況を実況する。痛みが消えたら「膨らみ、縮み」とやってください。
 
「痛み、痛み、痛み」とやっている途中で雑念が入ったら「妄想、妄想、妄想」と実況し、また「痛み、痛み、痛み」と。それから、しびれ、かゆみなどの感覚も出て、感覚が変化する。
 
3:00:00
感覚を実況しているのだから、感覚が変化したら実況中継しなくてはいけない。痒くなったら、第三人称で「痒み、痒み、痒み」と言うのです。いつでも、「自分」が居ないのです。肉体は客観化する。感覚も客観化する。いわゆる、「他人」。痒みがでたら「ああ、痒い」と言ったら自分なのです。これで心が汚れてしまうのです。
 
頑張って「痒み、痒み、痒み」と、「痒み」という感覚を勉強してみる。痺れたら「痺れ、痺れ、痺れ」という感覚を勉強してみる。そうやって(ありのままの)データーを取る。判断はしない。
 
いつでも心はゼロの状態。「空」の状態です。で、修行中は、大変かもしれません。しかし、ものすごく恐ろしいほど心がリラックスする。脳が開発される。
 
実況している間で、脳細胞のなかで、かなりな勢いで仕事をして新しい配線を作るのです。(ここにいる皆さんは、)修行したことないでしょ!だから、配線が出来ていないのです。
 
そのとき面白いことは、見る、聞く、色々判断するところの配線は固定していますから、今、使っていない脳細胞が大量にありますね。そこを使うのです。
 
これは脳科学者も困っているところで、たくさん脳細胞はあるのだけど、なぜ使えないのかと。
 
彼らには出来ないけど、私たちには出来るのです。仏教では出来るのです。ヴィパッサナー冥想をやっていると、今使っていない脳細胞の間で、新たな配線ができてくる。
 
それは、しっかりした智慧で、煩悩のない心で、ゼロの心で作るものだから、全て完璧なのです。
それで、ジワジワと脳の幻覚を作る機能がなくなって行くのです。
 
今は、脳が幻覚を作って、インチキを作って、「本物だ!」と騙しているのです。
そこは理論的なことです。だから頑張って実践してみてください。肉体の体力をつけるには時間がかかりますが、脳の場合はそんなに時間かかりません。
 
肉体よりは、神経細胞の方が配線を作りたいのです。肉体とはすごく違います。だから「配線作りたい!」と、待っている連中に、「自由にどうぞ!」と言ってやれば、作っちゃいますよ。
 
なんで人間に能力がないのかと、信じられない。脳は能力開発したくてたまらんのですよ。しかし、我々は貪瞋痴でいくつかの回路ができたところで、カチッと固定してしまう。
 
だから、人間一番、明るいのは小学生だけでしょ!小学生も大人になってくると暗くなって、暗くなって、中学生ではものすごく暗くなって、高校生ではとんでもないあばれ者になっちゃって、獣になっちゃって、それから死体になる。なんの明るさもないロボットになる。挨拶してもなんの味っ気もない人間になってしまう。
 
それは、みんな自分の脳をわざと固定するからなのです。だから冥想してみてください。全て解決します。いつでもインスピレーションで溢れていて、アイデアマンで、何のテキストが無くても答えが出せる人間になります。
 
はい、そういうことですから、今言った通りに冥想してみてください。痛みが出たら「痛み、痛み、痛み」と。痒みが出たら「痒み」と実況する。ものすごく客観的でなければなりません。「痒い」と言った途端、元のプログラムに戻ります。「痛い」と実況したら、元のプログラム、間違ったプログラムです。
 
痛いという気持ちがあっても、無理やり「痛み、痛み、痛み」と言う。冷えてきたら「冷えている、冷えている、冷えている」と三人称で。暑くなってきたら「暑い」とは言わない。「暑くなっている」「暖かくなっている」そう言う風に三人称で客観化する。
 
それよりは、メインプログラムとしては、妄想を潰してください。それだけは大事に守ってください。他は時々守れなくなったり、色々ありますよ。それはそれほど問題ではないのです。
 
妄想が入ると、すべてプログラムが中断してしまう。
 
はい、ではもう一回やりましょうか。骨盤チェックします。お尻から背骨を伸ばします「伸ばす、伸ばす、伸ばす、伸ばす、伸ばす」
 
頭からお尻まで「力抜けます、抜けます、抜けます」。
分厚い板を背中に貼って固定している(または、頭の上から吊るされた)イメージを作って胴体を固定してください。
 
下腹部を風船のように使って、深呼吸をしましょう。「吸います、吸います、吸います」「吐きます、吐きます、吐きます」
 
深呼吸をやめて「待ちます、待ちます、待ちます」と、身体を感じましょう。
 
下腹部に集中します。自分がいないという想定になります。「膨らみ、膨らみ、縮み、縮み」。はい、スタート。
 
雑念が割り込んだら、直ちに「妄想、妄想、妄想」と(心の中で唱える)痛み、痒みが現れたら、適時に実況します。
 
次、私が言う言葉を各自で実況してください。深呼吸をしましょう。「吸います、吸います、吸います」「吐きます、吐きます、吐きます、終わります」もう一回、「吸います、吸います、吸います」「吐きます、吐きます、吐きます、終わります」もう一回、「吸います、吸います、吸います」「吐きます、吐きます、吐きます、終わります」
「目を開けます、開けます、開けます」と三回唱えて、目を開けてください。
 
座る冥想では、この終了する方法を覚えてください。深呼吸で終了する。深呼吸で初めて、深呼吸で終了する。これが必要です。
 
冗談ではできません。ヴィパッサナー冥想は、確実に脳が変わりますから、だから、正しく、丁寧にやらなくてはいけません。
 
しかし、この冥想では、副作用は一切ないのです。皆様があまり理解しなくても別に問題ないのです。私の方法と違って、何かのどこかの宗教の考えを取り入れちゃうと、これは私には保証できません。
 
なぜならば、我々は絶対的に無宗教(科学的に)やるのです。そう言うことだから、言った通りに頑張ってみてください。
 
プログラムには、まだまだ、みなさん慣れていないのだから、レッスンをやってください。それから、楽しくやってください。「これ面白い!」と言う感じで、「落ち着くんだ」と。なんか子供達がゲームをやる気分で楽しく、気持ちよくレッスンをやってみてください。
 
それが終わったら、本格冥想として、歩く冥想から始めてください。歩く冥想を何回も繰り返してやってください。一週間ぐらい、歩く冥想をやると、体調が良くなるのです。とてもコンディションが良くなるのです。
 
歳を取っても、若い人でも、汚れた心で作った肉体だから、いつでも調子が悪いのです。ですから、一週間ぐらい何回も繰り返して、歩く冥想をする。10回やったても、40回やってもいいのです。
 
それで、歩く冥想は1時間、立つ冥想は15分、座る冥想は30分ぐらいにして、やってみてください。それで終わりなのですが、色いろんな方法で、自分で冥想を考えてやってみて下さい。
 
基本的なポイントは、(自分の)肉体がやることの何かを選ぶことなのです。たとえば、鳥が来て枝に停まって(いる様子を)、あちらこちらと観ることを実況しても冥想にはならないのです。
 
優れた冥想を体験する人にとっては、一体となっているからできるのです。たとえば、一週間、朝から晩まで冥想すると、全ての自然法則と自分の肉体の法則は、一つであると分かる。全ての生命の心と自分の心が同じエネルギーであると分かる。
 
その人は、伽藍から水の一滴がポツン、ポツンと落ちていることを観ていても冥想になる。それで悟るかも。そういう、悟ったというケースはあります。
 
皆様には、それは関係ない。だから、身体と関係ある何かを、服を着る、脱ぐとかの肉体がやっていることを(対象にする)。
 
玉ねぎをみじん切りにするときは「押す、押す、押す、押す、押す」と実況中継してみてください。
(終わり)




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20121209「手放すことが生きること」

 
20121209(名古屋初期仏教デー「手放すことが生きること」
https://youtu.be/xL37dMGnF9E?t=21
日本テーラワーダ仏教協会
 
質問:一人の男性を二人の女性が好きな場合、そこに対立が生まれるが、それについてお話しください。
 
法話:愛情や怒りなどの感情の世界は、どうしても対立の世界でしょう!?解決できないんです。貪瞋痴は対立の世界です。憎しみの、争いの、奪い合いの世界でしょうに。答えはない。
 
人間は、手放すことで幸せになるのです。手放すことが、生きることの決まり、基本なのです。手放すことで生きることが成り立っていて、正しく法則に従って生きることになるのです。
 
我々の場合、「手放したくない!」という気持ちがあって生きているのです。でも手放さないと生きていられないのです。どうしても、両立できる立場ではなのです。我々の気持ちと生きることの法則は、まったく正反対なのです。
 
だから、誰でも、生まれてから苦しむ羽目になるのです。「手放しくない」と、ありえないこと、実らないことと闘っているのだから。
 
仏教は、「このようなアホな感情を潔く素直に手放してください」と云う。そこに究極の安らぎがある。何の対立もないのだと。
 
いろんな知識を学ぶときでも、手放していく。自分の気持ちを手放して学ぶ。話すときでも、自分の感情を捨てて話す。そこで言葉を覚えると同時に感情を制御することを学ぶ。言語を学ぶときでも、自分の気持ちを手放す。
 
丁寧に敬語で話す人は、自分の気持ちを置いておいて他人のことを優先している。手放さなくては成り立たないのです。
 
お金が欲しければ自分の時間と自由を手放さなければならない。人間が、今も、手放すことによって何とか生きている。そこで、転倒するのは、穴に落ちるのは、「手放したくない」と云う気持ちが生まれたときなのです。
 
そこで、人間はどうしても愛着を持ってしまうが、そこからは何も得られないのです。いくら子供に愛着があっても、いつかは出て行くのだから。愛着があるだけ、ものすごく苦しくなるだけ。
 
だから、人間のこう云う苦しみは、自作自演です。執着のあるものには、限りのない苦しみがある。執着を何の跡形もなく捨てた人には、何の苦も無い。と云うブッダの言葉。
 
だからお釈迦魔は、人間は、無知で愚か者だと言っているのです。なぜかと云うと、生きる法則があるのに、いかにしてこの法則に逆ろうかとするからなのです。同時に生きていきたいとも思う。
 
執着自体が元々成り立たないものなのです。ただ、お釈迦様は、このことに目覚めてほしいだけ。「この真理に目覚めない」と。「あなたの心も体も、一つとしてあなたの物というものは何もないのだ」と。
 
「自分」という妄想、錯覚だと。肉体に何か触れた感覚で「私」というだけでしょ。自分というものも成り立たないのに、一時的に出来あがったシステムだけで、「あれは私のもの」「あれは私が好き」とか、というは情けないことでしょ。
 
だから、気楽で、問題を作らないで、悩まないで、苦しまないで、トラブルを起こさないで、対立をしないで、完全な安穏で生きていたければ、「手放す」ということ。Let’s Go! なのです。
 
これは、ジワジワと実践した方が良い。たとえ、自分の子供であろうが、何十年結婚していたと言っても、自分のものはないのです。それぞれの生命に、それぞれの物に、それぞれの法則で変化するものとして、「放っておく」のです。
 
肉体に執着する恋の問題でも、いつでも「手放したくない」というところで問題が起こるのです。で、
 
面白いことに、自分のものにしようとすると、法則違反であって、生命法則を破ったのだから、権利を失ってしまうのです。だから、何かに執着すると、ものすごい勢いで逃げて行くのです。
 
全然執着しないと、蝶々が勝手にきて、肩にとまるような感じで留まる可能性もあります。取ろうとすると逃げて行って悔しくなる。蝶々が勝手に来て、止まったら楽しめばいいでしょに。
 
あるいは、もっと蝶々に止まって欲しければ、自分のわがまま抑えてじっとしていることでしょう!?そこで、自分の自由を手放しているのです。すると、蝶々は長く止まっている。
 
ですから、一人ふたりが愛着を持ってしまうと、3人が苦しまなくちゃいけないのです。人が人に愛着を持ってしまうと、それだけでもかなりの問題が起こるでしょうに。
 
答えは「手放す」ことです。それ以上の完璧な答えはありません。皆様の頭のなかには、「こうすればいい」「ああすればいい」と色々考えるでしょう?でも、完璧なものはないのです。
 
私にも俗世間的に答えられます。たとえば、それは脳のカラクリで、好きな人の欠点を見ないようにしているだけでしょ!脳というのは、ものすごくいい加減で、適当で、自分勝手なストーリーを作ってしまう。
 
「ある人が好きだ!」と思うだけで、その人の悪いところは、まるっきし脳が見ないようにしているのです。だから、言えるのはたくさんのデーターを入れてくださいとなるのです。
 
その人一人だけ見るのでなく、世の中のいろんな人を見て、脳にインプットしてみればなんとかなるでしょう。「この人しかいない!」というような人はいません。誰でも不完全なのだから。自分の人格と完全に合う人格は存在すらしないのです。
 
俗世間的に見るとそのような答えですが、結局は答えがないでしょ。その人が、いろんな人と付き合って見ても、それもまたややこしいことでしょうに。正解は、「手放す」ことの術を身につけることなのです。
 
「取った方が苦しい。放した方が楽だ」と。カバンを持ったら重いでしょ。置いたら楽でしょ。また、そのカバンを失くしたら、結構悩んだりするでしょ。心からまだ放していないのです。物体としては置いているけど、気持ちでは、持っているのです。かなり苦しむのです。
私ならいたって簡単「そんなものは初めからなかった」と。 返ってきても、「もういらない」と言うのです。それで終わり。失くなった時点で捨てるのです。
 
そういう問題には、正解は、「手放す」「放っておく」ことなのです。これは損することではなくて、徳することなのです。それが法則にのって生きることなのです。法則に従って生きることが科学的な生き方なのです。
(終わり)


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